長崎くんち 元船町お旅所さじき運営委員会

TEL:095-823-9073長崎市元船町10番地 7月18日(火)13:00より販売開始!

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紺屋町(こうやまち)

長崎くんち 元船町お旅所さじき運営委員会

染物屋(紺屋)さんが多く集まって出来た町。
現在の紺屋町は今紺屋町と中紺屋町の位置になる。
今紺屋町と中紺屋町は寛文12年に今紺屋町を割いて出来たが、明治8年に合併して紺屋町となった。
紺屋町は中島川をまたいだ大きな町であったが公会堂や市民会館などの公共施設が町の大半を占める様になったため、町域は狭められた。
その後、昭和41年の町界町名変更で麹屋町と諏訪町に分けられて町名は消えてしまった。
くんちには「紺屋町」で出場。
【傘 鉾】
飾:楓(かえで)二株の中に冠を載せた冠台、笙(しょう)と鳥かぶとを配す。
輪:〆縄飾。
垂れ:(前日)白地糸錦地に古代模様。(後日)五色糸錦に三社紋。
【演し物】
傘鉾・本踊(ほんおどり)


出島町(でじままち)

長崎くんち 元船町お旅所さじき運営委員会

出島は寛永13年に完成した扇形をした人工の島であったが、明治37年に埋め立てられて島ではなくなった。
昔は丸山、寄合町とともに踊町・年番町に含まれていなかったが、昭和28年より加入。
今は、千馬町や入江町などを合併して大きな街区となっている。
【傘 鉾】
飾:渾天儀、洋書、天体望遠鏡、定規、十二支丸計、羅針計、出島門鑑(考証 中山文孝)
輪:ビロード(金文字で表に出島、裏にDECIMA)
垂れ:阿蘭陀船に波および雲を配す。
【演し物】
傘鉾・阿蘭陀船(おらんだぶね)


東古川町(ひがしふるかわまち)

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寛文12年に古川町を分けて出来た町。
古くは歌舞伎町、新歌舞伎町と呼ばれていたともいう。
昭和41年の町界町名変更で本古川町の一部などと合わせて古川町となっていたが、平成19年銀屋町とともに町名が復活された。
【傘 鉾】
飾:投網(ギヤマン製)と水棹(みさお)と魚籠(びく)に東古の文字を顕し、芦(あし)と川骨(こうほね)をあしらう。
輪:蛇籠(じゃかご)
垂れ:紫紺地緞子織り出し。
【演し物】
傘鉾・川船(かわふね)


小川町(コガワマチ)

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町の傍を立山(岩原郷)から大黒町・恵美須町の河口に注ぐ小川(岩原川)が流れていた事から小川町と呼ばれるようになったといわれる。
長崎町立て6町につづいてつくられた町であり、内町、船手に属し、戦前までは今の瓊浦公園付近まで続く大町であったが(昭和3年の戸数113)、戦時中の建物疎開で町の片側が強制疎開になったことや(今の桜町公園)、桜町の立体交差化による区画整理により、町の規模が大幅に縮小、ひいては昭和38年の町界町名変更で上町、桜町、恵美須町、金屋町に編入され、町そのものがなくなってしまった。
昭和8年に「コッコデショ」を奉納して以来辞退がつづいたが、旧勝山校区(町界町名変更未実施地区を除く)、旧新興善校区で、唯一旧町単位の自治会を存続したことが、平成9年の64年振りの踊町復活に繋がったのである。現在は、約40~50世帯余りと、踊町を務める町で恐らく最小の規模ながらも、立派にその役目を果たしている。
なお、電車の車掌が「おがわまち」と言っていたことから、年配の方は「おがわまち」に馴染みがあるが、明治頃のローマ字で書かれた地図には、「KOGAWA-MACHI」とあるので、「こがわまち」が正しいと思われる。
平成16年の出場時から「こがわまち」と表記している。
【傘 鉾】
飾:水堰(すいせき)、四ツ手網に二羽の鷺(さぎ)を左右に葦(あし)にあやめを配す。
輪:蛇籠
垂れ:塩瀬緋色ぼかし、流水織出し三社紋、楓・蛇籠・葦・岩。二尾の鯉を長崎刺繍で配す。
【演し物】
傘鉾・唐子獅子踊(からこししおどり)


本古川町(モトフルカワマチ)

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寛文12年の改革で古川町を分けて出来た町。
昭和41年の町界町名変更で古川町と万屋町に分けられてしまったが、くんちは本古川町の名で出場している。
【傘 鉾】
白木長机に打烏帽子と中啓を乗せ、横に鼓、背後に〆太鼓の面、笛を斜めに立て懸け後方に撥を置く。
【演し物】
傘鉾・御座船(ござぶね)


大黒町(だいこくまち)

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寛文12年の改革で恵美須町(旧)から分かれて出来た町。
エビスに大黒ということでつけられたのだろうか。
昭和28年と36年は駅前町という名前で出場した。
【傘 鉾】
飾:高麗べり台の上に打出の小槌と白ねずみ。
輪:ビロード
垂れ:(前日)三社紋錦地の地紋織に稲佐山を背景にして、大黒町の沖に船がかりした「唐人船・一番船」三場景の一枚織物。
(後日)緋色の塩瀬に大漁の友禅染。
【演し物】
傘鉾・唐人船(とうじんぶね)


樺島町(かばしままち)

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三尺町ともいわれる程、細長い町であったが、延宝4年に海岸を埋め立てて今の様になった。
糸荷廻船で上方(堺)との交流があった事などから太鼓山(コッコデショ)を出す様になったといわれる。
お旅所に近いので、昔はお旅所用の道具蔵があった。
【傘 鉾】
飾:表に猿田彦の赤面、中央に金の御幣、裏に猿田彦の青面、後方に榊を配す。
輪:〆縄
垂れ:塩瀬生地に波に磯の松
【演し物】
傘鉾・太皷山たいこやま(コッコデショ)